社会福祉法人共生福祉会 福島美術館

福島美術館のトップページ
福島美術館通信
展覧会のお知らせ
主な収蔵品
伊達な作品写真館
福島美術館の歴史
館内ガイド&交通ガイド
リンク&スペシャルサンクス
ゲストブック
Q&A
ミュージアムグッズ
広瀬川とミュージアム散策マップ
学芸員日記(ブログ)
お問い合わせ
プライバシーポリシー
サイトマップ

福島美術館通信/バックナンバー

次回一覧

平成16年9月9日

福島美術館通信 No.33

秋の公開展「館蔵品 仙台と黄檗を繋ぐもの」に寄せて 其之一

黄檗宗という禅宗をご存知だろうか。「おうばく」と読む。自分が黄檗を知ったのは平成5年、所蔵資料を調べるために開いた一幅の書、そこには「竹榻午風凉」の大きな五字とその横に「黄檗隠元書」の文字があった。「なんてゆったりとした心地よい書だろう。まるで、書いた人の心まで映しているようだ。」これが第一印象だった。ところで「黄檗って何???」。出会いは感動、好奇心へと続いた。

黄檗宗は中国の明(みん)時代の禅宗で、江戸時代の初め中国の高僧・隠元隆(いんげんりゅうき/1592〜1673)により日本にもたらされた。はじめは臨済正宗黄檗派と称したが、明治時代に黄檗宗として日本三禅宗のひとつとなる。その儀式作法は明時代に制定された仏教儀礼がそのまま継承されている。

隠元禅師が渡来したのは承応3年(1654)、今から350年前のことだ。63歳の隠元禅師は弟子20人の他、仏像・絵画・建築の専門家など30名余と共に日本にやってきた。隠元禅師の教えは当時の仏教界に大いに刺激を与え、また、朝廷・幕府の時の有力者の崇敬を得て、京都宇治に9万坪の寺地を譲り受け、寛文元年(1661)黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ=現在の本山)を創建した。

9万坪と一口にいうが、どれ位の広さか検討もつかない。9万坪=297,000平方メートル=約30ヘクタール。ますますわからない。東京ドームの約7倍、盛岡城と同じ面積、多摩動物園と同じ広さ、やはりイメージできない。八木山動物公園(14.6ヘクタール)の2倍の広さ(えー!そんなに広いのー!)というわけで、どれだけ広大な土地を譲り受けたか検討がついただろうか。

話を戻そう。そして黄檗寺院は、全国各地に創建され、その末寺の数は千を超えたという。隠元禅師がもたらしたものは、黄檗禅はもちろんだが、多くの人を魅了したのは黄檗僧の生活文化だった。すでに鎖国にあった日本にとって黄檗僧の日々の生活そのものが中国の最新モードとして積極的に受け入れられたようだ。

ところで、今回の展覧会のテーマである「仙台と黄檗を_ぐもの」、果たしてあるのだろうか。現在、宮城県内の黄檗寺院は両足山大年寺=仙台市太白区門前町、開元山萬寿寺=同青葉区高松、松月山桃源院=同若林区河原町の3ヶ寺のみである。平成10年に1度黄檗の展覧会を開催した。それを終えて自分は、仙台における黄檗宗は大名家のある時期の一つの流行にすぎなかった、というなんとも寂しい実感を抱いた。しかし、本当にそれだけなのか、隠元禅師が日本に渡来して350年になるこの機会にもう一度見直してみたい。

秋の公開展 「館蔵品 仙台と黄檗を_ぐもの」に寄せて 其之二

  1. 仙台のイベントと黄檗宗
    黄檗宗と縁があるイベントは現在、知る限りでは2つ。「臨済院弁財天堂の例祭=4月22日」と「広瀬川の灯ろう流し=8月20日」。
    ⇒前者は大年寺4代住持の鳳山元瑞が開山した河北山臨済院の跡地(青葉区国見ヶ丘)にあり、堂内には彫像も安置されている。4月22日に開帳される。
    後者は飢饉の際に救済・供養のために創建された松月山桃源院(若林区河原町)が河原で行っていた供養が「灯ろう流し」の始まりといわれる。
  2. 煎茶と黄檗宗
    煎茶という喫茶法が日本にこれほど広まったのは隠元禅師ら黄檗僧によるところが大きい。一般に煎茶といえば売茶翁高遊外といわれるが、売茶翁は、かつて黄檗僧で、仙台(開元山萬寿寺)にも修行に訪れている。
    明治期以降、製茶法の発達により宗匠茶(煎茶道)が盛んになるが、現在、宮城県内には4つの煎茶道の本部・支部があり、多くの煎茶人口を擁している。
  3. 普茶料理・明朝体・木魚・いんげん豆・孟宗竹・寒天
    普茶料理―季節の野菜と植物性タンパク質を用いる中国風の精進料理。雲片(うんぺん=野菜の葛煮)は宮城の料理「おくずかけ」の原型といわれる。
    明朝体―明王朝書体のこと。隠元禅師が携えてきた一切経を、鉄眼禅師が復刻の為に15年を費やし膨大な版を起こした。この一切経が明版だった。
    木魚―黄檗では読経の際に鳴物の一つとして腹部の膨らんだ丸い木魚を使用していた。それが、他の宗派に普及した。
    いんげん豆―隠元禅師が持ち込んだので、この名がついたという。但し、関西では藤豆のことを隠元豆と呼んでおり、正確にはわかっていない。
    孟宗竹―隠元禅師の伝来説と、琉球から島津藩に伝来した説がある。普茶料理には筍一種を必ず使う筍羹(しゅんかん)という口取系の料理がある。
    寒天―伏見の発明品を隠元禅師が試食して、この名をつけたという。
  4. 福島美術館
    黄檗関連資料を50件所蔵している。その主なものは日本における黄檗草創期の黄檗僧の軸である。
    ⇒僧名の3字目に「性」がつく場合、臨済正宗33世(例:木菴性、慧林性機、独立性易)。「道」がつくのは34世(例:鉄牛道機、潮音道海、香国道蓮)。但し、例外もある。因みに、隠元禅師は臨済正宗32世である。
    (文責 尾暮)

このページの初めに戻る

工芸品 近世の作家 近世江戸・京阪の作者たち 近世郷土の作者たち 伊達家関連資料 主な収蔵品