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福島美術館通信

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平成18年12月20日

福島美術館通信 No.38
【陳列作品紹介】

■松齢鶴壽(しょうれいかくじゅ)図(左幅)

遠藤速雄(はやお)筆 明治43年初春
双幅 絹本著色 各111.9cm×42.0cm

画面中央には番(つが)いの丹頂鶴が描かれ、その足元には雛鳥が1羽見える。実際の雛鳥は淡褐色をしており、このように白くはない。雛鳥に餌をやる雌鳥と、その後方に立って周りを威嚇しているように見える雄鳥。さながら、子どもを愛しみ育てている親と子の図である。背景となるのは3本の竹と鶴の足元の水流のみで、これが地面の境となり緩やかな空間を感じさせる。

実はこれは双幅(2つで1組。「対幅(ついふく)」ともいう)の作品の左幅である。右幅には松を背景に番いの鶴が描かれている。丹頂鶴はいつも番いで行動するそうだが、鶴あるいは鹿を番いで描いた図は「偕老(かいろう)」、すなわち夫婦睦まじく長く年月を重ね、ともに年老いるという人々の願いが表されている。

中国の古典『淮南子(えなんじ)』の中には「鶴寿千歳」とあり、鶴は長寿の仙禽(せんきん)として東洋画でも長寿を祝う吉祥図案に最も多く登場する鳥といえるかもしれない。日本でも鶴は「鶴は千年、亀は万年」というフレーズで長寿のシンボルとして知られ、おめでたい場面には必ずといっていいほど登場する鳥である。

本図の左後方には竹が見える。竹には「高節の君子」という意味があるが、中国では実はこれ以外にも様ざまな寓意がある。(1)竹林の地下茎の緊密さにちなんで「(一族の)団結心・義侠心」、(2)中国の歳の暮れや春節に打ち鳴らす爆竹から「辟邪(へきじゃ)⇒平安」、(3)竹(筍)の成長・生命力から「子授け・子孫繁栄」といったおめでたい寓意が並ぶ。竹のもつ様々な寓意を知ると、この鶴の親子の背景として3本の竹が描かれていることの意味も理解できる。

筆者の遠藤速雄(1866〜1917/慶応2〜大正6)は仙台藩時代の宿老・遠藤允信(さねのぶ)の第2子として時代の変換期に生まれる。京都平野神社の宮司として赴任する父に伴われ、11歳にして京都の宮中御用絵師・原在泉(はら ざいせん)のもとに入門する。ここで、円山(まるやま)四条派の画風を基盤としつつ、先人の作品の模写・写生という絵の基本を学びながら研鑽を積む。京都を離れた時期は定かではないが、記録より明治24年、25歳には宮城県に帰っていたことが知られる。帰郷後は郷土の画家として生きる道を選ぶことになる。

本作品からは近代の新しい風を感じることはできないが、空間を活かした情緒豊かな世界は京都で得たものであろう。この作品は明治43年に当館の美術品寄贈者である福島家の求めで描かれたもので、誰もが願う「子孫繁栄・長寿(夫婦ともに)」という吉祥の意味が込められたものに仕上げられている。
(文責:尾暮)

〜〜〜雑感。。広瀬川の風をもとめて 其の二〜〜〜

さて、福島美術館を出てわずか5分程度で広瀬川に架かる愛宕橋に出た。広瀬川は都市を流れる清流として、また市街地の中で瀬と淵が織り成す美しい景観を持っていることでも貴重な川だそうだ。
ときおり愛宕橋を歩くことがある。皆なんとなくゆっくりとした足取りになるように感じられる。左手に見える愛宕堰(せき)から聞こえるザアーザアーと流れる水の音が耳に届き、顔には心地よい風を感じながら、こんもりと小さな森になっている中州を眺める。ゆったりとした気持ちになれるのは橋の作りにも訳があるようだ。実は橋の中央部の巾が少し広いそうだ。実際に歩道部分を測ってみた。なるほど両端の方は約2.3メートル、中央部は約3.9メートルで、中央部は歩道の巾が約1.5倍広く作られている。冬の寒い季節も、やはり足を止めて眺めている人をしばしば見かける。橋にはそれぞれに表情と魅力があるが、愛宕橋は季節を問わず歩いて渡りたい橋の一つといえる。
橋を渡り、越路(こえじ)郵便局手前を左に折れ遊歩道(宮沢橋まで650メートル)に下りる。前回取材に来た時とは全く別の景観に遭遇できた。橋の方を振り返ると、橋げたの向こうには、照り映える崖の紅葉。実際の紅葉も勿論美しいが、水面に映る紅葉もなんともいえない。移りゆく季節を街中で楽しめることに心から感謝したい。愛宕堰に近づくにつれて水音は次第にドオードオーへと変わってくる。堰を過ぎると川の中に森が現れる。広瀬川は野鳥の宝庫といわれるが、この中州も棲みかになっているのだろう。広瀬川では120種類余りの野鳥が観測されており、よく見られる野鳥も約70種類あるという。
ふと右手をみると宗禅寺(そうぜんじ)の石垣。この辺りが宗禅寺淵である。この淵の名称となった宗禅寺には、現在の大年寺山に中世の山城・茂ケ崎城を造った粟野大膳重國(あわのだいぜんしげくに)の墓がある。また、この寺には「鶏塚」があり、言い伝えでは飼い猫が和尚の命を狙っていることを報せるために犠牲になった(異説あり)「忠鶏の墓」だという。長い石垣を過ぎるとまもなく宮沢橋だ。
(文責 尾暮)

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