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福島美術館通信

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平成19年9月1日

福島美術館通信 No.39
【陳列作品紹介】

■扁額「金石(きんせき)文(ぶん)」

高橋天(てん)華(が)筆 近代
紙本墨書
本紙19.6cm×58.9cm/扁額29.6cm×85.8cm

一昨年、仙台の書家であり篆刻(てんこく)家であった佐藤研石(けんせき、明治39〜平成4/1906〜1992)のご家族より、高橋天華(てんが)の資料34件約200点が福島美術館に寄贈されました。天華(明治4〜昭和8/1871〜1933・享年63歳)は宮城県南部の岩沼出身の書家。仙台で「天華書院」を開き後進の指導を行った人物です。佐藤研石もその門人の一人です。また、天華は明治の書聖と称される中林梧竹(ごちく・ 文政10〜大正2/1827〜1913)の唯一の弟子です。

寄贈者である佐藤氏ご夫妻との出会いは、平成11年10月14日までさかのぼります。

この日、ご夫妻は徳島県の中林梧竹資料の調査員の方に同行されて当館に見えました。その頃、徳島県では博物館を建設する準備が進められており、館の基軸の一つに明治の書聖・中林梧竹も上げられていたのです。(中林梧竹についてはここでは割愛させていただきます。)佐藤氏は父・林兵衛氏(号・研石)が遺された高橋天華資料と、その中に含まれている中林梧竹資料を保管管理されていた方でした。

その後、佐藤氏ご夫妻とはしばらくご縁がなく、再びお会いすることになったのは平成17年2月でした。その折、梧竹資料を徳島県へ寄贈された経緯と、所蔵する天華資料の全てを天華に縁がある福島美術館へ寄贈したいというお話を受けたのです。

美術館の名称の由来となる福島家はパトロンとして郷土の書家・画家を支えていました。当館に数点所蔵されている天華の資料より福島家とパトロン関係であったことは想像されましたが、これまで詳細はわかりませんでした。しかし、この度、天華が福島邸内に「琴松堂」という名の居に住んでいた時期があったことを記す資料を知り、また、ほとんど記録が残されていない天華の生涯についても、門人らによる手記によってその大要を知ることができました。つまり、それまで事実としてあった別々の点が明瞭な線となってつながったわけです。その他にも、ご寄贈いただいた一連の資料は郷土の文化を研究・継承する上で貴重なものばかりです。

そして、自分が最も気になっていた梧竹が発したという「金臭い書はキライだ」という言葉・・・。その精神・ココロを引き継いだ天華・研石と改めて向き合うと、やはり、お金のニオイは微塵も感じませんでした。そこには「美しい書を書きたい」という強いオモイと、流れるような涼やかな精神が感じられます。

今回の展覧会は書を「読み解く」のでなく、書を「ココロで愉しむ」機会になればと願っています。それが、「美しいモノ」との素直な対峙だと考えます。「書は読めない!」という方こそ、是非、ココロで見ていただきたい展覧会です。
(文責・尾暮)

・・・天華の門人 研石・・・

今回、高橋天華と共にご紹介する書家・佐藤研石(けんせき/本名・林兵衛、明治39〜平成4)もまた、表舞台になかなか出ない郷土の文化を語る上で大事な人物といえるでしょう。

研石のご子息である佐藤氏のお宅で、研石がまだ鵞照(がしょう)という号であった少年時代の手習い和綴じ本を拝見しました。十代半ばとはとても思えない端正な書に目を見張りました。それから、大正14年に福島から仙台へ転居してからの記録・・・・。
 書家・篆刻(てんこく)家である一方、東北大学に書記として勤め、昭和42.3年頃までは東北大学の卒業証書の版は研石の筆によるものだったそうです。更に、東北大学のそれぞれの門に埋め込まれてある表示(看板、例・「東北大学醫學部」)の版や、県北部の鳴子のある宿泊所の部屋札(例「○○の間」)なども手がけていたようです。

その穏やかな表情の写真や、佐藤氏ご夫妻から窺った研石の人柄からはとても想像できないのですが、研石は書に対してかなり明確な姿勢をもっていたようです。それは昭和9年に「筆華會(ひっかかい)」を主宰し自ら主幹となり、編集発行していた月刊誌『東邦書策』にも強い論調で述べられています。昭和9年は師・天華が亡くなった翌年で、「筆華會」の華は天華の華と同じです。遺されている資料は第三巻(昭和11年)から第七巻(昭和15年)で最初の部分が欠けていますが、第五巻七月号(昭和13年)から一節を転載させていただき、その会の趣旨をご紹介したいと思います。

再び創刊當初の主義を鮮明にす
主幹 佐藤研石

東邦書策は趣味の書道の道標であり、研究の道場であり、斯道の楽園であらねばならぬ。

自己の全精神を傾け、人格を表現したるところの作品は、たとえ拙であらうとも、其の人の生命がある。如何に書技の蘊奥(うんおう・奥義)を極むるとも、人格劣等なるものゝ書は吾人の賛成し得ざるところで、斯の如きは絶対に排すべきである。

然れども、古法によらずして書芸ありとは言ひ得ない。

和漢両朝の碑版墨帖の妙を究め、他方性情(気だて、心ばえ)の陶冶(人材を養成すること)に意を配するならば、其の書、俗であるべきはずがない。真の書道芸術の生命は実に此処にある。

我東邦書策は諸君と共に此の主義の下に書道芸術の真髄を極め、且つ趣味の芸園に遊ばんと欲するものである。

※「雑感 広瀬川の風をもとめて 其の参」は今回お休みいたします。次号をお楽しみに・・・・。(文責・尾暮)

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