社会福祉法人共生福祉会 福島美術館

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福島美術館通信

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平成21年8月1日

福島美術館通信 No.43
【陳列作品紹介】

■福島運蔵像(部分)

佐久間得楼(さくまとくろう)筆
明治時代初期
絹本著色 各105.5cm×36.5cm

この作品の像主(モデル)である福島運蔵翁(うんぞう・文化7〜明治29.2.12/1810〜1886 享年77歳)は福島家中興初代であり、福島美術館のコレクションの母体を築いた人物です。(作品については福島美術館通信No.17参照のこと)

運蔵翁の孫にあたるのが、福島禎蔵翁(明治23〜昭和54/1890〜1979 享年80歳)、つまり福島美術館の運営母体である共生福祉会の設立者であり初代会長です。共生福祉会が寄贈を受けた資料には福島家の歴史を知る手がかりはそう多くはありません。数冊の共生福祉会記念誌に紹介はされていますが、そのほとんどが禎蔵翁のことで福島家の先祖についての記録はほんの僅かです。

その僅かな資料からのご紹介です。運蔵翁については当館のコレクションに含まれている明治29年3月の「福島運蔵翁墓碑」(遠藤温 撰・宮沢義雄筆)の拓本の内容に拠ると、「原姓は今宮氏。福島家に迎えられ後に福島家を継いだ。福島家は天保7年(1836)南鍛冶町検断(けんだん・名主)となる。天保の飢饉では藩命により私財を提供し、慶応元年(1865)以降は材木商を営んだ。明治13年(1880)今宮氏父母50回忌供養のために仙台市街の石橋88箇所の修理架け替えを行う。この善行を賞されて朝廷から銀杯を賜った。また、侍従高辻修長(おさなが)朝臣よりお祝いの七言絶句の大幅を頂いた」という記載がみられます。

この記録の中にある運蔵翁の出自・今宮氏については詳しくはわかっていません。また天保年間は藩の財政を助けることができる財力を持っていたことが知られます。明治時代の石橋の善行に関連して別な記録では費用800円を投じたことが記されており、現代のおおよその価値に換算すると3000万円相当の金額になります。前述の善行に伴う栄誉によって時の政府と密接な関係が生まれ、また仙台藩伊達家の最後のお抱え絵師の一人であった佐久間晴嶽とは後援者という立場で直接的な関係が生まれたようです。佐久間家関連資料が福島家に多く遺されているのは運蔵翁に縁るところが大きいと想定されます。本作品の作者・佐久間得楼(天保12〜明治22年/1841〜90)は晴嶽の長男です。福島家との関係は父より受け継がれたものでしょう。

さて、扇子を右手に持ち、羽織袴姿で座す運蔵翁を斜めから捉えた作品は、明治時代の肖像画です。その表情は「しわ」の一つひとつや鼻や顎の影などが、まるで写真のように描かれています。これは当時「顔」の表現方法として「写真」を写しとることが制作手法にあり、作者自身もそれに則って制作したためでしょう。本作品の上方には運蔵翁の筆による自作の和歌が付されています。好譽(こうよ)は運蔵翁の諱(いみな)で雅号として使用しています。晩年の運蔵翁の心情が伝わります。

「うけつきし 家のいとなみいそしみて
ことたる身こそたのしかりけれ 好譽」

(文責・尾暮)

福島家に寄せて

あれは何年前のことだったか。収蔵室で福島家関連資料群を閲覧していたとき見つけた一冊の古い大学ノート。表紙には「祖先系譜/祖先法名/墓碑銘彙(めいい)」の三列の文字。ページをめくると、それは禎蔵翁が祖先について昭和9年3月から墓碑と寺の過去帳とを照らし合わせながらこつこつと調べあげたノートでした。万年筆で記された丁寧で細かな文字は禎蔵翁の性格をそのまま表しているかのようです。ノートは所どころが白紙のままで、いつでも書き加えることができるようになっています。本当はもっともっと記すことがあったことでしょう。

社会福祉法人「共生福祉会」(昭和37年財団法人設立、昭和40年社会福祉法人へ移行)が、禎蔵翁から福島家の美術品を当会へ寄付したいという相談を受けたのは昭和45年7月です。そして昭和49年5月に正式に寄付の申し出を受けて整理・調査が始まり、昭和55年6月に先に開館していたライフセンター(共生福祉会館)の中に福島美術館は併設開館します。

調査は長年禎蔵翁と交流があり、かつ阿部次郎コレクションの調査整理も手掛けられた故・佐藤明氏(当時東北大学教授)に依頼して、仙台市博物館の濱田直嗣氏(当時学芸室長)を始め学芸員の協力を頂きながら一点一点丁寧に進められました。ライフセンターは集会中心の建物です。美術館として開館するための改修工事も大変苦労したと伝え聞いています。現在2階の常設展示室「福島家の玉手箱」で使用している展示ケースは昔の仙台市博物館が建て替えで廃棄される予定であった展示ケースを頂いたものです。ちょっとレトロな感じがする展示ケース・建物はそんな理由からです。

一冊のノートに話を戻しましょう。何度も申しますが、福島家を知る手がかりは僅かです。しかし、全くないわけではないのです。

このノートは昭和9年3月から記されたものです。福島家の菩提寺は日蓮宗です。

福島家初代・與惣五郎(宝永元年=1704没)、二代・與惣五郎(正徳元年=1711没)、三代・惣五郎(宝暦元年=1756没、享年69歳)、四代・與惣五郎(文政元年=1818没、享年58歳、御鏡師棟梁)までは、諡(おくりな)、没年、法名、墓碑が書き込まれているのみです。しかし、先祖の墓碑の形状、寸法、正面・右側面・左側面の文言は細かく記されています。

ノートに記されている福島家の家系図は、福島家五代目以降つまり禎蔵翁の祖父である福島家中興初代・運蔵翁(文化7〜明治29/1810〜1886 享年77歳)からとなっています。興味深いのは中興二代・與惣五郎(禎蔵翁の父、元冶元〜昭和13/1864〜1938 享年75歳)の長男・善蔵翁は明治の政治家・遠藤温の養嗣子となり、次男である禎蔵翁(明治23〜昭和54/1890〜1979 享年80歳)が福島家中興三代を継いでいます。三女の節子さんはテニスプレーヤーの清水善造氏に嫁いでいます。

当館のコレクションには福島家に関する資料も数多くありますが、調査は十分進んでいるとはいえません。明治・大正・昭和は少し古くて身近な時代です。常設展示「福島家の玉手箱」を通じて順次ご紹介して参りたいと考えております。

(尾暮)

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