社会福祉法人共生福祉会 福島美術館

福島美術館通信

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平成22年8月7日

福島美術館通信 No.45
【陳列作品紹介】

一行書「空劫已然事」

鉄牛道機(てつぎゅうどうき)筆
江戸時代前期 紙本墨書 124.1cm×26.6cm

仙台藩祖・伊達政宗の廟所は「瑞鳳殿(ずいほうでん)」。これは仙台の人だけでなく、観光で仙台に来られた方ならたいていご存知でしょう。それでは「問題」です。
4代藩主伊達綱村以降の伊達家の菩提寺はどこでしょう?

「答えは大年寺(だいねんじ)」。七堂伽藍(しちどうがらん=7つのお堂)がある大きな寺院だったといいます。過去形の訳は、今ではこの七堂伽藍はなく、当時の面影は惣門(そうもん)のみです。現在の大年寺は塔頭(たっとう)・撑月院(とうげついん)のあった場所に建てられたものです。仙台市太白区の国道286号線沿いから野草園に通じる杉木立の長い石段は当時あった大年寺の山門に続く石段でした。今ではこの辺りは「大年寺山」といわれています。江戸時代はこの山一帯が寺の領域でした。5万坪といいますから、それはそれは大きなお寺だったようです。

そのお寺を建てたのが仙台藩4代藩主綱村さん(1659~1719)でした。綱村さんといえば、父である3代藩主綱宗さんが幕府から逼塞(ひっそく)隠居を命ぜられ、たった2歳で藩主となったお殿様。この綱村さんは仙台領内に多くの神社仏閣を建てました。その一つが臨済宗黄檗派のお寺「大年寺」です。元禄10年(1697)、開山(=初代住持)に鉄牛道機(てつぎゅう どうき) を迎えました。

「臨済宗黄檗派」は、明治9年臨済宗から独立して「黄檗(おうばく)宗」という禅宗の一つとなりました。江戸時代の初め1654年に中国・明(みん)の高僧・隠元隆琦(いんげん りゅうき)の来朝により、日本に伝えられた禅宗です。

将軍をはじめ多くの大名が黄檗に帰依して、日本中に黄檗寺院が建てられます。綱村さんも黄檗に帰依した大名の一人です。岳父であり、幕府の指南役でもある老中・稲葉正則(いなば まさのり、小田原城主)が帰依した鉄牛さんを大年寺の初代住持に迎えたのは自然なことだったのでしょう。

写真作品にみる「空劫已然」とは「天地以前の絶対的存在。本来の本性、本来の面目」のこと。たっぷりと墨を含んだ書は黄檗風の書です。秋の展覧会「書と絵画にみる 仙台と黄檗をつなぐもの」に展示します。街のちいさな美術館で、長崎、京都を経て仙台にも確かに届いた「黄檗の文化」に浸ってみてはいかがでしょう。

その後は、現在の仙台の黄檗寺院(萬寿寺、大年寺、桃源院)や京都の黄檗宗の本山「萬福寺」、鉄牛さん所縁の七つのお寺、長崎の四福寺を訪ねてみるのもいいでしょう。黄檗の文化である、煎茶や普茶(ふちゃ)料理・篆刻(てんこく)を愉しむのもいいですね。

「禅はムズカシイ」。確かに難しいですね。でも、自分と向き合うきっかけになれば、新たな発見に出会えるかもしれません。

私もこの機会に「本来の本性・本来の面目」について考えてみたいと思います。

(文責・尾暮)

学芸員実務実習受け入れ報告
実習生企画展覧会名:『癒+笑=和』展(『いやしとわらいでなごむ』展)
開催時期:4月下旬~6月上旬
概要(抜粋):4月は新しい生活がスタートする季節であり、多くの人が毎日の生活をがんばって送る季節である。しかし4月の終わりに近づくと疲れが一気に出始めるのではないだろうか。そんな時に「癒」と「笑」で和んでもらい、心にちょっとした栄養補給をしてもらいたいと考える。

(立案 東北学院大学 3年 塩野優貴サン)

今年度の実習受け入れは7月6日(火)~10(土)の5日間でした。実習内容は「街のちいさな美術館の普段の業務を体験する」「模擬展覧会を企画し、資料1点を選考し、資料撮影・調査を行い、キャプションを作成する」というものです。

図書整理、防虫香の更新、資料カードの整理は勿論、ガラス拭き、掃除機がけなど、美術館の職員が日々業務として行っていることを実際に体験してもらいました。キャプションは企画展のコンセプトによって内容も変えているという点に驚いたようです。実習生が企画した内容は、いつか福島美術館の展覧会に活かしたいと考えます。

(学芸員)

仙台の惇姫(あつひめ)

先日、念願だった<仙台の惇(あつ)姫>の生家の菩提寺「慈照院(相国寺塔頭)」に伺うことができた。自分がいう惇姫とは大河ドラマの篤姫ではなく、仙台藩7代藩主重村の正室である近衛氏年子(のぶこ)夫人(=観心院)のことである。

惇姫は公家(清華せいが家)の廣幡長忠(ひろはた ながただ)の息女であった。1760年(宝暦10)に7代藩主重村との婚礼をあげ、その2年後に五摂家(せっけ)の筆頭である関白・近衛内前(このえ うちさき)の養女となったため、近衛氏年子と呼ばれている。エピソードを見ても、なかなか素敵な女性に思える。江戸時代、藩政の表舞台で活躍した女性として稀有な存在の一人である。

宝暦・天明の大飢饉では多くの人が亡くなった。惇姫は1774年(宝永3)に無縁供養法会修行の道場として「桃源院」(とうげんいん、仙台市太白区河原町・広瀬橋傍)という黄檗の寺院を開基した。自分のギモンはなぜ、惇姫が「黄檗」のお寺を建てたのかということ。<黄檗のパトロン・近衛家>と<京都>というキーワードはもちろんだが、<廣幡家>に興味をもった。

廣幡家ご当主様、菩提寺・慈照院様のご理解とご協力を頂き墓所を撮影させて頂きました。深く感謝申し上げます。まだまだ始まったばかりです。惇姫さんとはゆっくりじっくりお付き合いしてまいりたいと考えています。秋の展覧会で中間報告致します。

(文責・尾暮)

                            

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